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2020/02/27 第264期 訂閱/退訂看歷史報份TAEPEI
日星鋳字行 台北最後の活版印刷
 
 
日星鋳字行 台北最後の活版印刷
文/Taipei
文=Catherine Shin

編集=下山敬之

写真=鄧毅駿

活版印刷と活字の鋳造を生業とする日星鋳字行(リーシンジューズハン)は台北駅近くの静かな路地にあり、外観は1960年代から変わっていません。入り口にはオーナーの張介冠(チャンジエグアン)さんが立ち、私たちを迎えてくれました。中にはいると通路には中国語の活字が所狭しと立ち並んでいて、それぞれ部首やフレーズごとに積み上げられてます。また、1階部分だけではスペースが足りないことから、地下室にまで活字が溢れています。今回は日星がなぜこの地で事業を続け、そしてどのように大きな仕事を行ってきたのかに迫ります。

消えゆく伝統を台北に残す

活版印刷の起源は、15世紀半ばのドイツで生まれ育ったヨハネス・グーテンベルクまでさかのぼります。当時は全て手作業で書いていたことから1日6ページも印刷できる活版印刷は非常に効率的でした。活字を「チェース」という枠に固定することでインクしっかりと押し付けられ、文字が用紙に刻まれます。この技術はコンピューター印刷の未来を切り開いただけでなく、その当時より多くの読者に情報が発信できるようになりました。台湾の活版印刷業界は1950年代から繁栄を始め、大きく経済発展した台湾の奇跡を経て、当時開花したばかりの出版業界を支えました。

日星は比較的参入が遅く、業界のピーク期である1969年に設立されましたが、今日では世界最後の繁体字中国語に対応した活字鋳造所となりました。張さんは2000年代初頭に同業者が次々と倒産していく様を目の当たりにしましたが、伝統的な活版印刷の技術が失われないようお店を続けていくことを決心しました。中国語は5万文字以上の文字を使用しますが、このような言語が活版印刷の技術を利用するとは開発者のグーテンベルク自身も想像していなかったことでしょう。

活字の鋳造方法

活字を作成するには熱した容器に鉛を入れて、それを摂氏300度で沸騰させます。次にプランジャーを使用して液状の鉛を鋳型に流し込み成形していきます。今回はデモンストレーションで一度に10文字を作っていただき、活字の重さについて尋ねました。「鉛は水よりも13·6倍重く、一番大きな文字であれば約20文字、最小の文字であれば約644文字で1kに相当します。」日星で作っている書体はカイティ(楷體)、ソンティ(宋體)、ヘイティ(黑體)の3種類のみですが、各書体は10種類の大きさがあり、文字数はそれぞれ13000字以上になります。つまり、1つの書体につき13万文字以上あり、印刷する際はその中から1つ1つ文字を選ばなければいけません。また、日本語や英語の活字も組み合わせることで1000万文字を超える印刷物を簡単に印刷することができます。

業界のピーク

日星という名前を3つの漢字に分解すると、「日日生」となり日々生産性を高め繁栄していくという意味になります。その名の通り日星は成長し、業界最盛期には大量の注文に応えるべく張さんと父親の二人でシフトを組み、12時間以上働きました。張さんは「最初はオートバイを買う余裕すらなく、配達には自転車を使っていました。北は基隆、南は新竹まで200キロ近い距離を100〜200kの鉛が入ったケースを積みながら走りました。あまりの重さに自転車を降りて押さなければ台北橋を行き来することはできませんでした。」と苦しかった時期の思い出を語ってくれました。

家族経営から始めたため、張さんと父親が活字を鋳造し、妹は顧客が注文した文字の選択、母親は会計を担当していました。ピーク時には30人の従業員を抱えるまでに成長しましたが、台北の他の企業は200人近い従業員を抱えていたため、まだまだ小規模でした。ただ、大規模な鋳造所の多くは、人件費が大きな負担となりコンピューター印刷を導入する転換期を耐えしのぐことができませんでした。結果的に小規模であったことが有利に働き、日星は現在まで続いています。

台北と日星の歴史

日本統治時代から現在に至るまで、台北の万華区は台湾最大の新聞社が集まるエリアです。日星はちょうど万華と大稻埕の境界にある地区に位置しています。

「父は会社を設立したてでしたが、ビジネスパートナーと別れてしまったためにお店の開店資金にも限りがありました。ただ、私たちのお店は台北中央駅のすぐ後ろだったことから、他の活字鋳造所に比べ大きな強みを持っていました。」と張さんは話します。

しかし、20年ほどの間で街の文化や景観が大きく変化する様を目の当たりにします。張さんに台北に対する考えを伺うと「台北は漢字の『化』に似ていて、人(亻)が比較(匕)をし、それが『変化』につながります。つまり、人々が変化することで台北も変化を続ける都市になっています。少しごちゃごちゃしている部分もありますが、混乱の中に一定の構造が存在します。一言でまとめると台北には漢字の美しさがあるので、現地の人や外国人など多くの人に日星と台北が持つ面白さを体験してもらいたいです。」と答えてくれました。

産業の衰退と変革

張さんは機械マニアとして、過去を振り返ります。「以前、スピーカーの部品を買おうと街を歩いた際、中華路の角を曲がったところのお店の窓から新品のApple II コンピューターが見えました。その時、活版印刷の未来は世界中で異なる方向に向かうのだろうと感じました。」そう話す張さんの予想は当たっていて、1995年までに世界中でデジタルの活版印刷が流行り始め、わずか10年後の2005年までに、台北の2つの活字鋳造所が閉鎖され、日星が最後の1つになりました。「うちまで閉めていたら繁体字中国語の活版印刷と活字鋳造所の未来を摘むことになっていたと思います。」と張さんは話します。

そうした経緯もあり張さんは2005年に家族の希望に反して、世界最後の繁体字中国語の活字鋳造所を継続しつつ、日星を手工芸の施設として再建することを決めました。「活版印刷

が教科書で知るものや博物館のケース越しに見ることはしたくなく、実際に手で触れて感じることができる生きた技術のままに残したいと思いました。」と張さんは話します。ヨーロッパの活字鋳造所は最後には博物館に展示されましたが、台北には日星があり、現在でも新しい活字母型を製造しています。また、「数年前にチベットを訪問した際、ダライ・ラマ氏のために3ヶ月弱かけてチベットの活字セットを作りました。」と張さんは過去の実績を語ります。他にも金型や機械が使えなくなった日本人が日星を訪れることも多く、特定の日本語の活字を探しに来るそうです。

日星のルール

日星にはいくつかのルールがあるので、訪問する際には注意が必要です。①誤って棚を倒さないよう、持ち物は全て入口横の箱に入れます。②文字の種類を選択したら必ず購入し、途中でキャンセルをしない。

日星は活字を選ぶ際には厳密なルールがありますが、実際には業界全体のルールを踏襲したものです。「父は戒厳令の時代に印刷機を使う仕事をしていましたが、ある時同僚が誤って活字を1語追加しました。その夜から同僚は行方不明になりました。その同僚は中華民国という文字に誤って「人」を加えてしまい、中国を意味する中華人民国としてしまったのです。」と昔話をしてくれました。以降は父親の時代の厳格さを引き継ぎ、お客さんが文字を選んだら必ず買うというスタンスを貫いています。なぜなら、一度手に取ると元の位置に戻すことが難しいためです。13万以上ある文字を規則正しく並べられた棚に戻すよりも、その分新たに10文字鋳造する方が経済的なので、こうした厳しいルールを設けています。

日星の未来、台北の宝

活版印刷の未来について張さんは、「死にゆく産業を再生するには倍の時間と若い労働者、そして資本が必要です。活版印刷が20年前になくなったことを考えると再生には、ここから更に40〜50年かかります。」と言います。現在、日星は芸術と手工芸の施設として運営していますが、張さんは若者が活版印刷について学ぶために日星に勤め、インスピレーションなど様々なことを感じて欲しいそうです。そのために、毎日団体ツアーの受け入れ、機械や活版印刷の使用方法を学ぶ教育コースを開催しています。

ただ、コースは主に中国語で行われるので、単純に漢字の美しさが好きな外国人観光客は、お土産として活字を持ち帰ることがおすすめです。膨大な数の活字が溢れる棚の中から目的の文字を見つけることは非常に有意義で、楽しい経験になるでしょう。

繁体字を活字にすることは決して簡単な作業ではありませんでしたが、張さんは事業を存続させると決めたとき、日星の使命は一層厳しいものとなりました。デジタル化が進むにつれて世界は急速に変化しますが、張さんはと日星は台北で最後の活版印刷を残すために日々努力を続けています。

 
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